当たり前は主観の言葉
「当たり前」と「そうでないこと」のちがいは、認識しておくべきことだ。そのちがいを認識できるようにしておくべきだと思う。
「トイレ貸せるけど、トイレ貸せると書いていない飲食店」と、「トイレ貸せると書いてある飲食店」なら「トイレ貸せると書いてある飲食店」を選ぶと思う。
飲食店ならふつうトイレ設置してあるのに。当たり前すぎてどこにも書いていない。
カフェとか飲食店とかなら、充電できるとかWi-Fi使えるとか無制限にいてもいいとかできることを明記することで他の店よりも使いやすい印象を受ける。
ブランディングにもよるので、書けばいいってことではないと思うけど。
当たり前が再構築される時代
いまの時代って、見直すというか、常識をいったん疑うっていう流れがある。
特に、マイノリティとかいままで弱者に不平等だったポイントを見直して、平等にしようという流れ。
働き方改革とか、男女平等(前からだけど)とか、ネットでのちょっとした発信が拡散されて世間の問題となったり。
「いままでふつうだと思ってたけど、おかしいよね?」って言う人が見逃されにくいというか。
いろんな当たり前が再構築されるときなのかなと思う。
テレビでは、よりみんながおもしろいもの・楽しめるものをつくっているし、マイノリティの存在も無視できない流れ。
当たり前ってなんだっけ? 共通して持たなくなる
そういう世の中の流れの影響を受けて、いままでのこれって当たり前なんだっけ?と他の人も考えるきっかけにもなっている。
それにテクノロジーの発展でいままでの当たり前なんて上書きされてしまうことを肌で感じている。
当たり前なんてすぐに当たり前じゃなくなるんだから、「当たり前だから」を理由にするのは通じなくなるんじゃないかな。みんながやってるからやるっていうのはなくなると思う。
常識と当たり前のちがいとは?
常識を疑えとか、簡単に言うけど常識がないと社会ではめちゃくちゃ生きにくいわけで。社会が常識を植え付けていくわけで。共通して持っておくべき最小のものが常識になると思う。
道徳とか倫理観。
当たり前は、早いペースで移り行くものになる。ただ、それは主観でしかない。死語レベルまで退化するんじゃなかろうか。